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2024-07-11 16:57| 来源: 网络整理| 查看: 265

【三才(さんさい)】とは

「三才」とは、易(えき)の繋辞伝(けいじでん)から出た中国古代の思想である。(参照:日本大百科全書)

「三」3つ。「才」材料、素材、はたらき。

つまり「三才」というのは、ある3つの要素に付随させ、それらをグループ化する語句のようなもので、これ自体には特別な意味はありません。

まず「三才」の代名詞のような「天・地・人(てんちじん)」について。

一般的には「天・人・地」の順が知られていると思いますが、どちらでも問題はありません。

「天・地・人」の発祥

孟子(前372 - 前289) 中国戦国時代の儒学思想家。孔子の門人として儒学思想を学ぶ。

『公孫丑章句上』一節の「天時不如地利。地利不如人和」(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)に由来する慣用句の省略形。

「天の時、地の利、人の和」戦略が成功する三条件を示すともされる。(参照:Wikipedia)

 

「易」における「天・人・地(三才)」の使用例

下図は易における三才の配置です。三才については、易経・繋辞伝(上篇)に記述されており、下図の説明文がそれにあたります。(早稲田大学(明治43年出版本)より参照)

上図の、黒い横長の長方形は、「陽」の算木(さんぎ)といい、現物は15×15×90ミリ程度の四角柱の木材です。

おなじく黒い横長の長方形の間が切れているのは、「陰」の算木。図で中間が切れて見える部分には、赤色や金色の塗料が塗布されているのですが、これは「陽」の算木と区別するためのものです。 ここではどちらの算木でも良いのですが、3つの算木を1組にします。これを「小成卦(しょうせいけ)」といいます。手前から向こう側へ3つ並べた算木を「天・人・地」とし、「三才」として括(くく)ります。

この3つ並べた算木の向こう側に、さらにもう1組の3つの算木を並べ、計6つの算木にしたものを「大成卦(たいせいけ)」といいます。「八卦(はっけ)」ともいい、この八卦が易占の基本の型です。 余談ですが、相撲行司の「ハッケヨイ・ノコッタ」の掛け声は、この「八卦(はっけ)」から来ています。「八卦、良い、残った」(良い占いが出た)ということから励ましの意味に使われているようです。

そして、この6つの算木を、二本づつ3等分にして「三才」として括ります。易における「三才」は、このように使われています。

ちなみに上図、6つの算木でできた大成卦は「水火既済(すいかきせい)」と言い、64種類ある卦の内の1つです。 たとえば、男女の関係を占って、この「水火既済」の卦を得たとすれば、「この二人は既に出来上がっていますね」なんて占ったりします。

既済というのは、すでに(関係が)済んでいる意味です。これはあくまで、ここだけの参考例でありまして、誰に対しても同じことを言えば当たるというものではありません。

易の言葉に「同卦異占(どうけいせん)」というのがあり、同じ卦を得ても占いの答えは違う、というものです。占いは臨機応変であり、姓名判断にしても同様です。 

 ところで、世間には「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という占いを揶揄(やゆ)したものがあります。

しかし実際には、当たる占い師は存在して神がかった占いをされています。名人による占いを体験されてない人には信じがたいでしょうけど、全て当たります。

多くの研究不足の人達の占いが当たらないだけであり、ピラミッドの底辺の多くを見ただけで、その全体までもが同じとする考えは当たりません。

これは何の道であっても同じようなことが言えのではないでかと思います。

  さて、八卦には、8つ の元となる小成卦(しょうせいけ)[1.乾(天)・2.兌(沢)・3.離(火)・4.震(雷)・5.巽(風)・6.坎(水)・7.艮(山)・8.坤(地)]  があり、

ここから8×8=64通りの大成卦(たいせいけ)が生じます。

また、1つの卦には6つの算木があるので、この64通りに、さらに6を掛けて、64×6=384種、の卦がさらに展開されます。このように易の深い深い世界へと入っていくのです。

易の叡智(えいち)は、教えや名言など多岐にわたり、実に膨大なものが世に浸透しています。 易経から出ている「三才」の語句は、他のあらゆる占いでも多用されています。

しかし、それらはすべて個人的見解により使用されているものであり「易の三才」=「占いの三才」ではありません。

 

姓名判断の「天・人・地 (三才)」

下図は、「天格・人格・地格・外格・総格」の名称で配置してみました。

続いて下図では「い・ろ・は・に・ほ」の名称で配置してみました。

ここで、上の2つを比較してみて頂きたく思います。●「天格・人格・地格・外格・総格」の名称が付けられているほうは、さも易学の「三才五行」「天人地」と同じであるかのような錯覚に陥ってしまいそうです。

なので、姓名の  「天格・人格・地格」が、三才なんだ !と、つい思ってしまいそうになります。

孟子の「天地人」を意識して名付けたのかどうかは知りませんが、実際には孟子のものとは全く関係ありません。

 ●そして、もう一つの「い・ろ・は・に・ほ」の呼称ほうは、「三才五行」「天人地」の意識も錯覚もすることなくごく普通に使用できる範囲の名称ではないかと思います。 

このように名称を少し「工夫」したことによって、錯覚も生じてくることもありますので誘導されないようにしたいものです。

姓名判断で「三才五行」が無意味な理由

①  天格・人格・地格だけを「三才」として都合よく利用し、外格・総格を除外している。

② 天格は五格構成には必要であるが、三才としての使用はこじつけ。

③「五行」の都合の良い意味だけを記載するのは不適切。

(例1.)「水生木」(すいしょうもく)木は水を得て成長するので吉の配列。と長所のみ記されていますが、

水が多すぎれば、その木は根腐れしてしまいます。なので凶の配列。となってしまいます。

自説のために都合の良い片面の解釈だけを記述するのではなく、実際は吉と凶の両面を判断しなければなりません。これは以下のものも同様です。 (例2.)「火剋金」(かこくきん)火は金を溶かすので凶の配列。と記されていますが、

名刀(金属)は、焼き(火)により作られます。なので吉の配列。となります。 (例3.)「水剋火」(すいこくか)水は火を消すので凶の配列。と記されていますが、

料理において水は火を必要とします。なので吉の配列。となります。(その他の五行も同様です)

④ 霊数の1の位だけを切り取っての判断は、霊数の破壊行為そのもの。1・2は木,3・4は火、5・6は土、7・8は金、9・0は水、とするなどは霊数の完全無視。

たとえば、霊数の意味が全く異なる15と36の場合においても、「5・6は土」として同等扱いするなどして霊数を無視している。 

姓名学の「三才五行」は「害」

上記の理由により、「三才五行」は無根拠、無意味であるばかりか周囲に対して誤解や問題を生じさせ「当たりもしない大きな要因のひとつ」となって「害」を植え続けています。

「三才五行」の手法が発表された当時はかなりの反響を呼び、その影響で日本中に姓名判断が急激に普及されたことだけについて言えば善悪は別として評価に値するものなのかとは思います。

しかし読む人に恐怖の暗示を植え付けるような内容も多々ありましたので、当たる当たらない以前の問題として反響がありました。

下記は、その一例です。「三才五行」に関する記事の抜粋です。(原文のまま)

・「一時的大勢力を発揮することあるも、多くは病災難孤独の悲運となる」

・「成功絶対抑圧急難。心臓麻痺或いは脳溢血、自殺等あり」

・「絶対不安定、意外の変事あり生命財産を失ふ」

これと同じような内容のものがたくさん書かれています。

いかがでしょうか。もし、あなたの姓名の「三才五行」に上記のものがあったとしたら・・

精神的不安に陥ったり、名付けた人を批判したり、いろいろな悩みが醸し出されるのではないかと思います。

これが、読む人を不安に陥れるだけの「三才五行」の正体なのです。もちろん真実の根拠など有る筈もありません。

そして当然のごとく「三才五行」の長所についてもデタラメであることは、上記の記述から推測すれば容易に分かることです。

自分の知らない不思議なことや怖いことが、専門用語を用いて言葉たくみに解説されているので気になるのは人情というものです。

繰り返し何度も述べさせて頂いていますけど、「三才五行」判断法は、真の姓名学からみれば何の根拠もありません!!

しかし、その後も、いろいろな姓名判断書が刊行され続けていますけど、その中で「三才五行」は今に至ってもコピーされ続け、まき散らされているのが悲しき現状です。

姓名学を研究しないまま経験も積まずして、コピー本にすがりついている人達が「三才五行」拡散の主要因のひとつになっているのかと思います。

「三才五行」占いをやっている人は、素人さん相手に、もっともらしい手法に見えると思ってやっているのか、知らずしてなのかは分かりませんけど、どちらにしても非常に憂うる事態です。

 

 ちなみに本来の、五行説は、木・火・土・金・水、の5つを宇宙観(世界観)として説いているものであり姓名判断の三才で使っている五行とは何の関係もありません。

仏教では、空・風・火・水・地、の5つを宇宙観(世界観)として説いているもの。

また「五重の塔」は上から、空・風・火・水・地、この5つを象徴しているものです。

 

参考までに、五行の由来などを付記します。

陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)の由来

私たちの生活習慣の中には時空を超えて、古代からの伝統が息づいているものがあります。

例えば、1 週間を 7 日とする考えは、古代バビロニア(メソポタミアの南部;現在のイラク;前 2004-前1530 年)から由来していて、現在の曜日名は七曜(しちよう)が基になっています。

古代バビロニアでは惑星が、「月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星」の順に並んでいると考えられていました。

この七曜と七星の考えが、古代の中国に伝わり、水星・金星・火星・木星・土星という五つの惑星の数に対応して、五行思想が生まれ、戦国時代(前 403-前 221)に陰陽説と五行説が統合されて陰陽五行説が成立しています。

陰陽五行説陰陽五行説では、五行は混沌(こんとん)から太極を経て生み出されており、万物(ばんぶつ)は、木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)、という 5 種類の元素から成ると考えられていたようです。

つまり、木・火・土・金・水 は、この世の森羅万象(しんらばんしょう)を象徴しています。

元素の数を 5 つにしたのは、古代の天文学で 5 つの惑星(水星・金星・火星・木星・土星)が観測されていたことに由来します。

「五行 (ごぎょう)」の「行」は、おこないや働きの意味。世界のすべての物事は、「五行」の中の何らかの性格に当てはまるという考えです。

五行の配当の順序や配当されるものは、時代や作者によって変化しているものと、変化していないものとがあるようです。

(余談ですが)

陰陽説における気の思想について陰陽説は、古代中国の民間信仰で、人間の社会生活と天文の運行とが相関関係にあり、人間の幸不幸、幸いや災い、個人の運命を天体の観測によって知ろうとする占い。

陰陽説は、夏王朝では連山(古代中国における占いの書で三易の一つ)、殷王朝では帰蔵(旧字体は歸藏、三易の一つ)と称され、周王朝で、それらを体系化して「周易(しゅうえき)」、つまり、「易経(えききょう)」という書物が作られました。

これは、後漢(ごかん:25-220年)の杜子春の考えでは、伏義(ふっき・ふくぎ;前 3350-前 3040 年、古代中国神話の神または伝説上の帝王)が考え出したもので、周の文王(前1152-前 1056 年)に至って完成し、周公(文王の第四子)や孔子(前 552-前 479 年)などによって補完されたものとされています。

『易経』は、陰と陽の二つの元素の対立と統合によって、この世に存在するすべての事物の変化や法則を、占筮(せんぜい:細い竹を使用した占い)で説いています。

陰陽五行の原理は、陰と陽の二元とその展開である五行の原素でできているというものです。(参照:Google)

過去における「姓名判断の本」

下図は、私の知るところの最も古い姓名学書の部分コピーです。(明治26年出版) 

その後も、大正、昭和、平成と、いろいろ出版されていますが、大体において似通った内容のものが目につきます。

そして著者自論に関しては実に好き勝手な理屈を並べたてたものが多く見受けられます。

その中でも、とくに滑稽なのは、「姓名の数は81なり。82画は1画となり循環していく」云々というものです。

その著者の説では、9×9=81、0は実態が無いので数えない。その上 82=1 である。と言うのです。

どこの世界でも、81の次は82、その次は83なのです。姓名判断の著者の都合で数が動いているのではありません。

こんなビックリするようなことが今でも続いているのには唖然としますし不思議でなりません。

いかに研究せずして、コピー本のコピーばかりをしている悪習慣が、ずっと続いているのかが分かります。

巷(ちまた)に溢(あふ)れている間違いだらけの本・ネット情報に流されることなく、姓名と真っすぐ向き合って学び、深く研究していくことが大切です。

また、陰陽、音、読み下し、流年、画数分解、易化、推命、占星術、などなど非常に多くの手法が、姓名判断内に引用利用されています。

しかし、それらは道理を求めれば直ぐに返答に行き詰まるものであり姓名学とは何ら関係のないものです。

道理のないモノは薄いメッキそのものであり、すぐに剝がれ落ちてしまいます。

すこし酷評になったかも知れませんけど、私自身に常に強く言い聞かせながら試行錯誤していることでもあります。

「占いはインチキだ」なぜ?

言葉と、それらしき本や用具などで胡麻化して「当たらない」からです。(一部の該当者のことです)インチキだと言われるのは、ごく当然のことです。

ゲーム感覚占い、遊び感覚占い、知ったかぶり感覚占い、にわか占い師、自称プロ占い師、詐欺占い師、などの人達が多く横行していることが大きな要因ではないかと思います。 

そういった要因が積み重なって「占いはインチキだ」「占い師は詐欺師だ」などと批判され続けているのかも知れません。ごもっとも、と言いたいですが非常に残念でなりません。

占いをするにあたって

つねに当てる為のたゆまない深い研究と心構え。何より「占いに希望を求めて来てくださる人」の期待に応えることが最優先と思います。

あなたの最も大切な人が、大変困った問題を抱えて、どこかの占いに行ったことを想像してみてください。

あなたも真剣に心配するのではないでしょうか。誰であっても皆んな人の子、同じような思いだと思います。

そして、占い師の実力を一番よく知っているのは「素人であるお客様」だったりします。

言われたことは些細な事でも「何年経っても、しっかり覚えています」。

そして黙って聞いていても心の中では「当たり外れ」がビンビン響いていて分析もされています。

つねに性根を据えて厳格に取り組まなくてはならないことだと思います。

 

姓名学を学ぶために避けるべきこと

先述しましたが姓名学を研究する以上、他の占い方法を取り入れないで欲しいと思います。

他の占法に目移りするようでは、懸命に研究しているつもりが、結局、自身でも何をやっているのか分からなくなるのではないでしょうか。

本家本元の姓名だけを研究せずして、分からないまま放置、そして手っ取り早く関係のない他の占法をもじって付け足していると、もはやフランケンシュタインのような継ぎはぎだらけの姓名判断になってしまいます。そのようなものは姓名判断とは言えないかも知れません。  それと「間違いだらけのコピー本」などは、妨げとなりますので捨ててください。

とは言っても、最初は「本」から入らざるを得ないと思いますが、つねに客観的に道理を追求する目を持って学ぶようにして頂けたらと思います。

かく言う私自身も、「本」で随分と遠回りをしてきた経験があります。

気になった本を必死に追い求め、東へ西へと夜行列車や車で奔走しました。

今から数十年前の当時で1冊12万円の姓名学書も懐かしい想い出のひとつとなっており、そんな苦い経験を積みながら現在も相変わらず試行錯誤しています。

また「短期間で、あなたを 儲かる占い師に育成します」とかの宣伝文句を見かけますが、

私には「短期間で、あなたを ぼったくり詐欺師に育成します」としか見えません。

自己流にしても、講座スクールにしても、マンツーマン指導にしても、短期間で習得することは不可能と思ってください。

お金でノウハウを得ようとしたり、秘伝本みたいな詐欺本を見たりでは、姓名学の真の研究には役にたちません。楽な近道はありません。長期にわたる自己の深堀り研究のみです。 

 間違った本やネットなどによって、姓名判断はたやすく誰にでも出来ると誤解されているようですが、実際はその真逆でたいへん奥深いものです。

よく目にする、画数に吉凶をつけたり、〇〇運があるからどうだこうだ、などのものは「子供の姓名判断ごっこ」の域です。まぐれ当たり以外、何もありません。

かりにも姓名学を研究しようとしてる方は、くれぐれも真似などしないことを強く望んでいます。

5年や10年程度では、多少の差こそあれ入門レベルでありますので、深い海の表面をバシャバシャやっているようなものだと思って下さい。私も、その中で試行錯誤を繰り返している一人です。

何の占いに限らず何の道に於いても共通することなのですが、その道だけを追求し続けなければ決して得るべきものは得られないと思います。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という金言がありますけど、虎穴というのは険しく長い道のり、の例えでもあります。

この「姓名学」記事は

姓名学に興味関心のある初学の方のご参考になればと思い、私自身が、間違い迷って遠回りしてきたものも含め、思い出しながら書いています。

初学の方は当分の間、何が何だか分からないと思いますけど、少しでも無駄な遠回りを避けるべくご参考になれば嬉しく思います。

研究はたいへん永い道のりですけど、そんな方々を応援したく、私も悪戦苦闘しながら慣れない下手な記事を、書いては直してまた書いて頑張っています。

 

 そんなわけですので、これからも「心理姓名学MY」よろしくお願いいたします。

最後までご精読、有難うございました。心理姓名学 MY



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